深谷薬局 養心堂

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224.中薬物語 桑寄生

昔、お金持ちの家の子供がリュウマチになりました。
腰や膝が痛く、歩くのがとても困難でした。
お金持ちの家の主は、南山の古くからある薬用植物を育てる農家の人に見て貰いました。
そのあと、2日に1回、主の雇い人を派遣して薬をとりに行かせました。
真冬だったので、派遣された人は寒さで震え、手足はこごえました。
彼は村はずれの道脇の古い桑の木の上の空洞に一つの枝が出でいて、それがいつも受け取りに入っている生薬にとても良く似ていました。
そこで、悪知恵を働かせて、木に登ってそれをとり、細切れにして紙にくるんで持ち帰り、主人に渡しました。
雇われ人は、それからはいつもその方法を使いました。
なんと言う事でしょう。そのお金持ちの家の子供の病気が治ってしまったのです。
雇われ人はその事を薬用植物を育てている農家の人に話しました。
農家の人は別な人に試してみると、本当にリュウマチが治ってしまいました。
この木は桑の木の上に生えているので「桑寄生」と名付けられました。
桑寄生は中医学ではリュウマチに良いだけでなく肝と腎を補い、筋骨を強め、安胎の作用があるとされています。

223.中薬物語 紫蘇

あるとき、華佗(中国では有名なお医者さんです)が河辺で薬草をとっていると、一匹のカワウソが大きな魚を捕まえるのを見かけました。
カワウソは河から上がると岸辺でその魚をまるごと飲み込んでしまいました。
お腹は太鼓のようになってしまい、カワウソは苦しくてたまりません。
カワウソは紫色の草が生えているのを見つけると、そこまで這っていきました。
そして、その草を食べてしばらくするとまるで何事もなかったかのように帰って行きました。
この草は紫色をしていて、食べるとお腹が舒服(気持ちよいという意味)になるので華佗はこの草を「紫舒」と名付けました。
ですが、どういう訳かその後の人たちはこれを「紫蘇」とも呼ぶようになりました

222.中薬物語 女貞子

言い伝えによれば、秦・漢の時代に浙江省に1人の身分の高い人がいました。
彼には1人の娘がいました。
その娘は年頃で、とても容姿端麗でした。そして芸術的なセンスも抜群でした。
父親は目に入れても痛くない程、可愛がっていました。
その娘に求婚する人はあとが立ちません。
父親は貪欲な人で、自分の地位の確保の為、県知事との結婚を約束してしまいました。
実は娘は、町の学校の先生と恋仲で一生のちぎりを結んでいました。
勿論、父親はそんな事は知りません。
娘は父親をうらんで壁に頭をぶつけて自殺してしまいました。
町の先生はそれを知り、ショックのあまり病気になってしまいました。
数日で体はやせこけて、頭髪は真っ白になってしまいました。
数年後、先生はその娘の墓の前で首をくくろうとしました。
その時、墓の土の上に1本の木が生えているのを見つけました。
葉は生い茂り、果実はまるで黒髪のように黒いものでした。
先生はその実をつんで口に入れました。
そうすると、たちまち元気になりました。
そこで、毎日その実をつんで食べると、今までの病かがすっかり良くなりました。

221.中薬物語 蒲公英

昔、洛陽に一人の娘がすんでいました。
彼女は頭もよく、とても美人でした。
ある日、その娘は乳腺炎になってしまいました。
腫れて痛みがひどく、我慢が出来ません。
しかたなく、一人の旅の医者に治療を頼みました。
旅の医者はその娘がとても綺麗だったので、邪念をおこしました。
娘は我慢できず、平手打ちを2発、くらわせました。
そこで旅の医者は「まだ結婚していない娘が乳腺炎になるのはおかしい。きっと道徳にはずれた行いをしているに違いない。」とあたりにデマをふりまきました。
娘は弁解する事も出来ず、河に身を投げました。
そこに蒲という名の漁師のおじいさんが通りかかり、娘を救いました。
漁師は事の顛末を聞き、公英という名前の自分の子供に、ある薬草をとりに行かせました。
漁師はその薬草を自ら漬いて娘に渡して、娘に湿布するように言いました。
数日して娘の乳腺炎は良くなりました。
娘は自分の庭にその薬草をうえ、感謝の気持ちでその薬草を「蒲公英」と呼びました。

220.中薬物語 決明子

伝説によれば、中国の陝西省の竜山という所に1人の年老いた道士が住んでいました。
彼は100歳を過ぎてもなお精力にあふれていて、髪の毛もふさふさとして、顔も若々しいままです。
耳はよく聞こえ、目は十里先までよく見渡せるという事です。
人々は、道士に秘密をききました。
道士が言うには「それは決明子のためだ。決明子を粉にしてスプーン1杯、1年間のみなさい。」と。
竜山の人たちは、道士の言うとおり決明子を服用すると、皆目がよく見えるようになり、眼病を患っていた人たちも全部よくなりました。
今でも中国の江南では家庭の庭に決明子を植える習慣があります。
毎年初夏に決明の苗がすくすくと育つ時期にこれを摘んで食べています。

219.中薬物語 蛇床子

昔、ある村である種の怪病が流行しました。
病人は全身の皮膚に吹き出物が出来て痒くてたまらないというものです。
あるお医者さんが言いました「ある島に傘の形をした白い花をつけ、羽毛のような葉っぱの薬草がある。
その実を煎じて患部を洗うと病気が治る。」と。
ただその島には沢山の毒蛇が這い回っていて薬草をとるのは容易ではありません。
ある青年が身を挺してその島に向かいました。
硫黄酒を携えて端午の節句の時に島に上陸して、毒蛇を退治しました。
青年は薬草をもって返り、沢山の仲間の病気を治しました。
この薬草は蛇がよこたわっていた下から採集されたので「蛇床」と呼び、その種を「蛇床子」と呼ぶようになりました。

218.中薬物語 金銭草

昔、昔。あるところに、仲むつまじい1組の夫婦がいました。
ある日、夫が突然に病に倒れて死んでしまいました。
妻は医者を呼んで夫の死因を調べてもらいました。
医者は、原因はお腹にあると言って、お腹から胆石を取り出しました。
妻は亡くなった夫の思い出にと、その胆石を網の袋に入れて首から提げていました。
有るとき、妻はその胆石がとても小さくなっているのに気が付き、医者に理由を尋ねました。
医者は「たぶん、山で仕事をしている時に石が小さくなるような薬草に触っているのではないか?」と言いました。
そこで医者と妻は二人で山に登り、妻がいつも柴かりをしている場所に生えている草をいくつも持ち帰り、試しに胆石をくるんでみました。
果たして、その中の1つの草を使うと胆石が小さくなりました。
医者はその薬草を使って沢山の人の結石病を治しました。
人々は、この薬草は凄いものだと思い、金銭よりも価値があると「金銭草」と名付けました。
金銭草の葉っぱは銅銭に似ているので、それも名前の由来になっていると思われます。

217.多嚢胞性卵巣

生理不順で病院にかかって、多嚢胞性卵巣と診断される方が多くあります。
病院の場合は、妊娠希望の場合は排卵誘発剤、妊娠希望でない場合はホルモン剤で生理をおこす方法になります。
どちらも即効性はありますが、多嚢胞性卵巣そのものを治しているとは言えません。
漢方で多嚢胞性卵巣は卵巣に汚れがたまり卵巣が固くなっている状態と考えます。
ですから、卵巣の汚れを綺麗にして卵巣を柔らかくするような方法を考えます。
このようにすると、多くの方が自然に排卵するようになってきます。
ある人の例です。
10代のころから、少量の出血が半月以上つづいていたそうです。
20才になってからはずっとピルを服用していて、クロミッドを飲まないと排卵しない状態でした。
血液検査では
プロラクチン  刺激前 14.9  刺激後  230
LH      刺激前  8.2  刺激後  41.9
FSH     刺激前  6.5  刺激後  10.3
との事です。
刺激後のプロラクチンとLHがかなり高いようです。
体に溜まっているものを出してくれるような漢方や『気』の流れを改善する漢方などをおすすめしました。
漢方を服用して2ヶ月。排卵誘発剤を使わないで体温が上がり、14日ほどで生理が来て体温が下がりました。
今はお医者さんには行っていないので、確実に排卵したかは解りません。
ただ基礎体温的にはまず排卵したと思われます。

216.邪実について

邪実とは、体内に余分なものがあり、それが病気の原因となっている事です。
また、今は病気まではいかなくても将来的に病気の原因になる可能性がある場合も含みます。
邪実は一般的には「外因」「内因」「不内外因」があります。
外因は六因とも言い、「風、寒、暑、湿、燥、火」をさします。
内因は六鬱とも言い「気鬱、血鬱、痰鬱、湿鬱、食鬱、火鬱」です。
不内外因は、食事の不摂生、過労、運動不足などです。
さて、過労、運動不足、食事の不足などは邪実とはいいません。
そうすると、食事の不摂生は食滞と考えます。これは食鬱と同じ意味になります。
外因は外からやってくる邪気で急性病に多いものです。
ただ、このブログで以前のべたように宿邪(伏邪)として体内に長く居座る場合があり、内因と外因の明確な区別は必要ありません。
そうすると、邪気は次のように整理されます。
目に見えない邪気
風(風寒 風熱) 寒凝 気滞 火 燥
目に見える邪気
瘀血 食滞 痰 湿 湿熱
まず、この10種類の邪気が体内にあるかどうかを先に判断します。
何故なら、邪気の種類によって辨証論治(病気の判断や治療)の方法がかわってくるからです。

215.左は血、右は気・水

左右の脈を比べてみると、左の脈が弱い事が多いようです。
これは心臓が左がわにある事に起因しています。
ちょっと考えると、左の方が心臓に近いので脈は強くなりそうです。
しかし、左は心臓から出た血液が急カーブで左手に流れていきます。
これに対して右手へ行く血管のカーブは緩やかなので、右手の方が血流がよくなる事が多いのです。
このように、「血」にかかわる部分は左に症状が出やすいのです。
ですから、中国医学は「左は血」と考えます。
中国医学的に左の脈が弱い場合は、「血虚」の場合と「瘀血」の場合があります。
どちらの場合も血液の流れが悪くなるので、まず左に症状が出やすいのです。

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