目次形式に切り替える204.中医学の歴史6 疫病の治療
さて、ここから日本と中国の漢方では大きな違いが生まれていきます。
まず、日本ではどうだったかというと、後世派の生ぬるい治療に嫌気をさして傷寒論の処方で疫病を治そうという一派が生まれました。
これが古方派という人たちです。
この時はまだ抗生物質が無かったため、命にかかわる急性病は最優先に治療されるべきでした。
こういった急性病は「病毒」が原因で、体質は関係ないと考えました。
毒が去れば病気は自然に治る、それで治らない場合はそれは天命だと考えました。
「古方の一時殺し、後世のなぶり殺し」と言われるように、古方派の人たちは体力が消耗する前に強い薬で一気に病気を攻めました。
この方法は急性病を治療するには今でも正しい方法と言えます。
古方派の治療方法は少々荒治療でしたが治療効果が良かったので、多くの人に支持されて、いつのまにか後世派は陰の薄い存在になってしまいました。
これに対して中国では、病気の治療において、急性病は去邪を主にし、慢性病は臓腑辨証を行うという考えたが普通でした。
日本のように後世派と古方派の対立というような事は無かったので、どちらの考えも発展していきました。
203.中医学の歴史5 金元4大家
金元の時代になると、中医学はさらに発達して、金元四大家という人たちが新しい理論をくりひろげて行きました。
特にその中の李東垣と朱丹渓の本は日本にも伝えられ朱李医学として日本でも広く用いられていました。
日本の曲直瀬道三などの本を見て見ると、日本式の漢方ではなく、全く今の中医学と同じように辨証論治をして治療していました。
曲直瀬道三などのように、朱李医学を基礎にして臓腑辨証を主に行って治療する流派を後世派と呼びます。
臓腑辨証は、不調の原因を考え、体質改善をしていくには非常に良い方法です。
ただ、疫病などの治療にはあまり適していません。
疫病は病気の進行が早く、一刻の猶予もありません。
とても臓腑辨証などで体質改善をしている時間は無いのです。
202.中医学の歴史4 宋改
さて、宋の時代は、医学が非常に発達した時代です。
このころ、新しい理論の発達だけでなくて、過去の古い書物を整理してまとめるという膨大な作業が行われました。
これを宋改といいます。
宋以前に書かれた殆どの書物が、ここで書き改められました。
宋改があったからこそ、宋以前の沢山の医学書が今残っていると考えられます。
ただ、残念な事に宋改によって多くの部分が書き直され、どこまでが原書の内容なのか、どこからが宋改によるものか解らなくなってしまいました。
傷寒論も宋改をうけました。
ですので、傷寒論の原文がいったいどのようなものだったのか今では誰にも解らない状態です。
この頃につくられた「太平聖恵方」は、殆どすべての病気を網羅している総合治療大系とも言えるものです。
201.中医学の歴史3 隨・唐の時代
傷寒論は後漢の時代に書かれたと考えられます。
今からちょうど2000年前くらいの書物になります。
さて、その後、隨の時代に『諸病源候論』という書物が書かれました。
これを見てみてると、病気がおこる原因を詳しく分析しています。
ちょうど病理学の本と言えます。
ただ、これだけ深く病理を掘り下げておきながら肝腎の治療方法については殆ど触れられていません。
とても残念な事です。
唐に時代になると「千金方」と「外台秘要」という書物が作られました。
この2は、簡単に言えば処方集です。
お医者さんがいつも持っている治療ガイドのようなものです。
内容としては、傷寒論、金匱要略の不足を補うもので、非常に広範囲な病気について語られています。
傷寒論、金匱要略は有用性が高いものでしたが、あまりに簡潔すぎて不足の部分が多かったと思われます。
千金方は臓腑ごとに病気をまとめ、辨証論治の基礎を作りました。
外台秘要は病名ごとに病気をまとめ、弁病論治の基礎を作りました。
隨・唐の時代は日本とも国交が深かったので、これらの書物もみな日本に伝わったと考えられます。
200.中医学の歴史2 傷寒論
黄帝内経は、中医学の理論をうちたてた素晴らしい本ですが少し足りない部分もありました。
それは「命にかかわる感染症」の治療です。
黄帝内経の治療は鍼灸を中心としたものでしたから、体の調節とか慢性病の治療には非常にすぐれていましたが当時流行した疫病などの治療にはあまり効果がありませんでした。
そこで登場したのが「傷寒論」という書物です。
傷寒論は実用書としてかかれています。
傷寒という病気(恐らくチフスなどの伝染病)にかかった場合の治療方法が誰にでも解るように「こういう場合はこうしなさい」という箇条書き風にかかれています。
この中には理論らしい理論は記載されていません。
しかし、ある程度読み込むと、記載されていないだけで、実に多くの理論や経験が含まれている事が解ります。
黄帝内経に比べれば極めて短い書物ですが、こちにも深く研究すると一生かかっても追いつかない内容です。
そこに書かれている多くの処方は今でも多用されています。
みなさんがよく知っている葛根湯とか小柴胡湯などはここに書かれています。
また傷寒論とセットで金匱要略という書物も書かれました。
こちらは慢性病の治療のガイドブックのような存在です。
ただ、その中の処方は簡潔で無駄がなく、かつ治療効果の良いもので、今でも処方のお手本にされています。
所で、傷寒論は日本にも渡り、沢山の写本が見つかっています。
その中には傷寒論の原本ではないか?と思われるものもあります。
ですので、傷寒論が日本に伝わったのはかなり早い時期ではないかと思われます。
199.中医学の歴史1 黄帝内経
今回より、何回かに分けて、漢方の歴史についてお話ししたいと思います。
昔の人がどのうにして、病気と向いあって来たか。
また、今の日本では「中国式の中医学」と「日本式の漢方」の2つの流れがあります。
この違いはいつ頃から、何故うまれたか、またどのような違いがあるかに付いてお話しします。
中医学の一番古い書物は何かは今では解っていません。
ただ、春秋戦国時代にかかれたと思われる「黄帝内経 こうていだいけい」という書物が現代中医学の基礎になっています。
黄帝内経は、特に臓腑と経絡について詳しく書かれています。
特に、陰陽五行説という中国古来からある東洋哲学の影響を強くうけています。
この黄帝内経は、後から書き加えられた部分が多くあり、どこまでが原書かは今となっては解りません。
ただ、臓腑の生理や病理が非常に詳しく書かれていて、今でもとても参考になる書物です。
2000年以上前の人が、このように緻密に体内のしくみを考えていたかと思うと頭が下がる思いです。
黄帝内経は漢方薬を使った治療については殆ど書かれていません。
鍼灸を使った治療については非常に詳しくかかれています。
この事から、古代は鍼灸による治療が盛んだったと考えられます。
(特に中国の北方では)
養命酒の宣伝でも「女性は7の倍数、男性は8の倍数によって支配されている」と引用しています。
7は奇数で、陽。8は偶数で陰です。
ですから、陰である女性は陽である7でコントロールされていて、陽である男性は8という陰数でコントロールされています。
このあたりの陰と陽との相互依存、相互対立はとても面白い理論です。
黄帝内経を研究するたげで一生あっても足りないと言われています。
これは一人の人の作品ではなく、非常に多くの人が協力して作ったという事です。
勿論、作者が誰という事も解ってはいません。
この頃の本は竹簡といって竹にかかれていました。
こんな古い本が今まで伝わっているという事自体、驚きを隠せませんが今でも第一級の実用書としての価値があることは信じられません。
「2000年前に宇宙人が地球にやって来て作った」という説も思わず信じてしまいそうな内容の本です。
198.血の生成
中医学的には、血は何処でどのように作られるのでしょうか?
食べた物は胃に入り、脾で精微物質として吸収されます。
それが上にのぼり肺近くまで運ばれます。
そこで、宗気とまざり赤く変化して、血となります。
宗気は肺で呼吸した大気と、脾からの精微物質で出来ています。
ですから、精微物質は、肺気とまざり宗気になるものと、宗気とまざり血となるものがある訳です。
さて、ここで大切な事は、血の生成には消化吸収した精微物質だけでなく、宗気が必要だという事です。
宗気の生成には肺から呼吸した大気が必要です。
つまり、血の生成には大気が必要という事です。
この事は、ただ必要なものを食べているだけではなかなか血は増えないという事です。
良い血を作るには宗気の生成をよくする必要があります。
その為には、肺の働きを強化します。
つまり、適度な運動が欠かせないという事です。
結局の所、体に必要なタンパク質や鉄分を充分に補い、頑張って必要な運動もしていく事が大切になります。
197.5つの味
生薬の味は。「酸・苦・甘・辛・鹹」の5つに分けられます。
鹹は「しおからい」つまり「しょっぱい」の意味です。
日本語の読みは「かん」、中国語は「Xian2 しぇん 2声」です。
日本ではあまり使われない漢字ですが、中国ではしょっちゅう使われます。
このあたりは文化の違いを感じます。
酸っぱい味の生薬、たとえば山茱萸などは肝との関係が強くなります。
苦い味の生薬は、例えば黄連は心に働く生薬となります。
甘い味の甘草や膠飴は脾、辛い味の麻黄は肺、鹹味のは腎との関係が強くなります。
ただ、これは無理矢理にこじつけた部分も多くあります。
例えば苦み。少量の苦みは苦味健胃薬といって、胃腸の働きを活発にします。
たとえばアロエとか、黄柏などです。
辛いカレーなどは、肺の機能を高め発汗させるだけでなく心にも働きますし、胃腸を刺激する作用もあります。
甘い味は、エネルギー源になりますが、とりすぎれば痰湿のもとになり胃腸を傷つけます。
鹹味の生薬はあまり多くはありません。
水蛭などは鹹味ですが、必ずしも補腎作用ではありません。
補腎薬の一部は、塩水で服用すると腎まで届くという考え方がありました。
しかし、塩分はむしろ腎の負担になります。
一般的には、五味と臓腑の関係は、適量ならその臓を丈夫にしますが、採りすぎるとその臓を傷つける事になります。
テレビなどで○○○○が、○○○○に良いなどいわれて大量にとる人があります。
適量を守る事は大切です。
196.肝を補う
気の流れを調整しているのが肝という事はおわかり頂けたと思います。
では、肝の働きを良くするのにはどうしたら良いでしょうか?
中医の用語では「肝の用は陽、肝の体は陰」といいます。
肝の用とは、肝の働きの意味です。
肝の体とは、肝を作っている物質、つまり本体の意味です。
肝は木に例えられます。
木は生きている間は水分を多く含んでいて、強い風が吹いても、柔らかく対処できて折れる事はありません。
しかし、水分を失うと折れやすくなります。
肝の構成物質は血と陰液です。
この2つが肝の中にたっぷりあると、肝は柔らかい状態を保っていけます。
ですから、肝にとって陰血はとても大切なものです。
肝の陰血を補う最も有名なものが「杞菊地黄丸」と「婦宝当帰膠」です。
前者はやや陰を補い、後者はやや血を補う点に違いがあります。
195.気の流れと肝
気にも色々な種類があります。
それらの気の流れをコントロールしているのは何処でしょうか?
どの臓腑にも、それぞれ固有の気がありますから、それぞれの臓腑がそれぞれの気を管理していると言う事は出来ます。
しかし、気の流れの大本締めみたいな役割をしているのが肝です。
この作用を疏肝作用(そかんさよう)といっています。
肝の働きが悪くなって、気の流れが悪くなる場合はおおまかに2種類の状態が考えれます。
気の量がすくなくて、流れ不足になる場合。気も血も、量が少なくなれば、当然に流れが悪くなります。
このような状態は肝気虚となります。
ただし、気を作る作用は脾とか肺とかが関係していますので、これらの臓腑も考えて治療します。
気の量が多すぎると、渋滞します。
車の渋滞と同じです。
気の流れ道の中で、つまりやすい部分があります。
道路でも渋滞しやすい道路があるのと同じです。
つまりやすい部分としては、目、のど、胸、脇、鼠径部などがあります。
この部分の違和感は気滞と関係する事が多いです。
これらの渋滞が長く続く続くと、化熱といって、熱をもってくる事があります。
また、痰湿とむすびついて、痰核を作る事もあります。
同じ気滞でも、気虚ベースのものと、気実ベースのものでは治療方法が違うので要注意です。
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