中医学の歴史1 黄帝内経
今回より、何回かに分けて、漢方の歴史についてお話ししたいと思います。
昔の人がどのうにして、病気と向いあって来たか。
また、今の日本では「中国式の中医学」と「日本式の漢方」の2つの流れがあります。
この違いはいつ頃から、何故うまれたか、またどのような違いがあるかに付いてお話しします。
中医学の一番古い書物は何かは今では解っていません。
ただ、春秋戦国時代にかかれたと思われる「黄帝内経 こうていだいけい」という書物が現代中医学の基礎になっています。
黄帝内経は、特に臓腑と経絡について詳しく書かれています。
特に、陰陽五行説という中国古来からある東洋哲学の影響を強くうけています。
この黄帝内経は、後から書き加えられた部分が多くあり、どこまでが原書かは今となっては解りません。
ただ、臓腑の生理や病理が非常に詳しく書かれていて、今でもとても参考になる書物です。
2000年以上前の人が、このように緻密に体内のしくみを考えていたかと思うと頭が下がる思いです。
黄帝内経は漢方薬を使った治療については殆ど書かれていません。
鍼灸を使った治療については非常に詳しくかかれています。
この事から、古代は鍼灸による治療が盛んだったと考えられます。
(特に中国の北方では)
養命酒の宣伝でも「女性は7の倍数、男性は8の倍数によって支配されている」と引用しています。
7は奇数で、陽。8は偶数で陰です。
ですから、陰である女性は陽である7でコントロールされていて、陽である男性は8という陰数でコントロールされています。
このあたりの陰と陽との相互依存、相互対立はとても面白い理論です。
黄帝内経を研究するたげで一生あっても足りないと言われています。
これは一人の人の作品ではなく、非常に多くの人が協力して作ったという事です。
勿論、作者が誰という事も解ってはいません。
この頃の本は竹簡といって竹にかかれていました。
こんな古い本が今まで伝わっているという事自体、驚きを隠せませんが今でも第一級の実用書としての価値があることは信じられません。
「2000年前に宇宙人が地球にやって来て作った」という説も思わず信じてしまいそうな内容の本です。
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