深谷薬局 養心堂

漢方薬局 深谷薬局養心堂

宿邪論

はじめに


中医学は今から2000年以上の歴史がある。
ただ、その進歩はきわめて緩慢だと言える。
勿論、中医学に限らず、現代社会と違って昔はいろいろな事の進歩は遅かったと思う。
それを差し引いても、中医学の進歩は極めて緩慢だ。
その中で一番の原因は「伝統を重んじる姿勢」がある。
中医学の勉強の姿勢として、新しい事を考え出すより、今まで過去に蓄積された経験、理論などを繰り返し勉強する事が大切とされて来た。
勿論、それはどんな学問にも言える事だ。
ただ、中医学は必要以上にそれが重視されて来たように思う。
経験をつんだ中医師を老中医というが、老中医になるためには、40年くらいかかる。
そうすると60才を過ぎてからやっと老中医になれる。
それまでは下積み生活がつづく。
ある中国人女性が「私は中医学は好きだけども中医師にはならない。母に反対されたから。あまりに下積みが長く、日の目を見る時間はわずかだから。」
中国の伝統医学は簡単には入門させてくれない。
私は中国人ではないので、おそらく中国にいる中医師よりは少し自由に中医学を考える事ができていると思う。
後漢の時代に傷寒論という大作が著され、その理論は今でも大切に受け継がれている。
それは大変に素晴らしい事だと思う。
ただ、あまりにも大切にされすぎて、新しい理論を受け入れる体制ができにくかった。
傷寒の理論に続く温病の理論が考え出されるまで1500年もかかった。
その1500年の間にどれだけ沢山の人が温病、疫病で亡くなっていったかと考えると、温病の理論はあと1000年速く生まれるべきだったと思う。
それを阻んだのは傷寒論があまりにも大作だったため、神格化されバイブルのようになってしまった事だ。
もし傷寒論の中におかしな記述があったとしても、それは傷寒論そのものの間違いではなく、後に誰かが書き換えたのだと解釈する。
それくらい傷寒論は絶対的なものなのだ。
しかし、私はあえて言いたい。
傷寒論がどんなに素晴らしいものでも、すべての病気を治す事は出来なかった。
温病の理論はもっと速く考え出されるべきだった、そうすれば沢山の命を救う事が出来たはずだ。
中医学は理論ではなく、人を救うための道具だ。
道具は使いにくい場合はどんどんと改善する事が必要だ。

新しい理論を粗製乱造する事は好ましく無いのは当然の事だ。
しかし、それを生まない土壌を作ってしまうのは更に良くない事だと思う。
だからこそ、あえてここに宿邪の理論を考えてみたい。


病気が起こる中医学的メカニズム


中医学は昔の医学である。
基本的な考え方は実にシンプルで、すべての病気は邪気と正気の戦いと考えている。
要するに敵と味方が戦っている状態が病気だ。
敵が強ければ、どんどんと病気が進むし、味方がつよければ回復に向かう。
勿論、ただやみくもに敵に立ち向かうのではなく、作戦が必要だ。
この作戦を考えていくのが中医学という学問だと言える。
つまり中医学は、兵法なのだ。

敵は外からやってくる外邪というものと、味方の中から出てくる内邪というものがある。
体は外邪が入らないように防衛している。
この働きは衛気という。まさに防衛の意味だ。
侵入されてしまった場合は、外に追い出す。
追い出す場合は、出口に誘導する。
出口は、鼻、目、口、皮膚、尿、便などだ。
中医学は鼻水、涙、嘔吐、汗、尿、便などから邪気を排出すると考えている。
基本的には、一番近い出口から追い出そうとする。
体表の邪気は汗、胃の邪気は嘔吐、腸の邪気は便などだ。
嘔吐や下痢なども正常な防衛反応と考えて、必要以上に止めない方が言いと考える。
ただ、あまりにも激しい嘔吐や下痢は体力の消耗や脱水などの問題があるので、その場合は止めた方が良いだろう。
追い出しできなかった外邪はやっつける。
それを解毒という。
激しい戦いは、熱をおびる。
火薬や爆弾などを使用する。
そうすると体が熱によってダメージをうける。
その場合は清熱する。
次に内邪だ。
内邪はかならずしも裏切り者だけではなく、味方が正常に機能しない場合も含む。
例えば、交通が渋滞しているような場合だ。
川がつまり洪水がおこるような場合だ。
うっかり火事をおこしてしまった場合だ。
この場合は内邪が発生する原因をしっかり考える必要がある。
血の汚れを瘀血というが、瘀血があるから瘀血を治療するのは当然だ。
しかし、なぜ瘀血が出来たかという事を考えないと、一旦綺麗にした瘀血はまた生まれてくる。
川を広げ、まっすぐにして、堤防をしっかりしないと何回も洪水がおこる。

昔の人は現代医学的な生理学とか病理学の知識はなかった。
だから、上記のたとえの様に、体を一つの自然界、人間界に例えて考えていた。
現代医学的には正しくないかも知れない。
しかし、何千年ものあいだ、漢方は使われ続け、正しい理論は生き残り、正しくない理論は淘汰されていった。
中医学には動物実験的なエビデンスはない。
あったとしてもエビデンスを追求するようになれば、もはやそれは中医学とは言えない。
そもそも科学は万能ではない。神様でもない。
万能で無い事を棚に上げて、やれエビデンスが無いから価値が無いという考えは実にナンセンスだ。
音楽、絵画、料理、愛情、友情などにエビデンスはあるのだろうか?価値は無いのだろうか?


中医学と免疫


昔は細菌だとかウイルスというものは発見されていなかった。
しかし、伝染病が伝染する事は知っていた。
伝染病は「温疫」という種類の病気で、目に見えない邪気が原因と考えられていた。
2000年前の傷寒論の序文に著者の一族のうち三分の二の人が亡くなったからと書かれている。
そしてそれに対する治療方法が細かく記載されている。
ウイルスや細菌の存在を知らなくても治療法をちゃんと見つけていたのだ。
電子の存在を知らなくても電気は使われていた。
中医学も同じで、その原理とか成分とか完全に分析されていなくても、ちゃんと利用できる。
人はそれは、「経験」と呼んでいる。
沢山の人の沢山の経験の積み重ね。
それがやがて理論になっていく。
そう考えると恐ろしく大勢の中医師と大勢の患者、そして長い長い年月をかけて中医学は作られていったのだ。
しかし、現代医学が普及するにつれ、中医学の足りない点がわかってきた。
その中で、特に足りないと思えるのが「免疫とアレルギー」の概念だと思う。
例えば新型コロナウィルスに感染した場合の死亡原因はウイルクそのものではなく、ウイルスによって暴走した免疫機能と言える。
免疫は外からやって来るのではなく体内にもとから存在するものだ。これを外邪とは呼べない。もっと別な呼び方があるはずだ。
病気をやっつける正しい免疫は衛気と考えている。
ではアレルギーはどう考えるのだろうか。
アレルギーの原因は、リンパ球がうまく敵と味方を区別できず、不要な抗体を作る事にある。
この抗体は、体に害を及ぼす。
つまり邪気の一種だが、中医学では邪気としての抗体の概念は無い。
抗体は外から入ってくるものでは無いので、内邪である。
昔の技術では目に見えなかった。
中医学では目に見えない物は気と呼ぶ。
そうすると気滞あたりが該当するだろうか?
免疫も気の一種と考えれば、免疫のバランスの崩れ、アレルギーは気滞とも言える。
気滞が続くと火を生じる。
痰湿瘀血と言った病的な産物も発生する。
アレルギーの治療に疏肝理気は良く用いられる。
しかしもっと良く使うのが解表薬だ。
火鬱は之を発せよと言う中医学の名言がある。
まさにこれはアレルギーもしくは自己免疫疾患の炎症について言ったのではないだろうか。
では、この発散して治療する火の名前は何なのか。
火鬱、もしくは伏火と呼ぶのが妥当だと思う。
では、免疫にかかわる慢性炎症は、中医学では何と呼ぶのだろうか?
私は、これを「宿邪」と呼ぶ事にした。
宿邪に似た概念として、伏邪がある。
伏邪と宿邪の違いについて述べてみたい。


伏気について


中医学には伏気という概念がある。
病気に感染してもすぐに発病しない、潜伏期間のようなものだ。
例えば有名な条文に「冬に寒邪に感染すると春になって温病になる」というのがある。
昔はウイルスや細菌などは目にみえなかったので、見えないけど何か悪いものがあると考え、これを「邪気」と言った。
そして邪気におかされてもすぐに発病しない場合を「伏気」と呼んだのだ。
冬から春というのは潜伏期間としては長すぎるように思うが、ウイルスが発見される前の考えとしては仕方がないと思う。何しろ目に見えないものが相手なのだから。
邪気にも色々あるが、その中で寒邪の力が一番強いと考えられていた。
だから寒邪はすぺての邪気の代表選手。
もっと簡単に言えば、すべての感染症は寒邪によると考えていた。
感染症のすべての原因が寒邪なので、「傷寒論」さえあればすべての感染症が治療出来ると考えていた。
実はこの事が、温病の理論の発展にとって大きな妨げになってしまった。
冒頭でものべたが、傷寒論から1000年もたって、ようやっと温病の理論が発展してきた。
それまでの1000年もの間、温病を傷寒として治療していたのだ!
温病が発展するにつけ、温病を「新感」と「伏気」に分けるようになっていった。
新感の温病は、病邪にふれてすぐに発病するものだ。
経路としては、外から中に進んでいく。
これに対して、伏気の温病は、中にこもり、あちらこちら病邪が広がっていく。
では中とはどこなのか?
明の時代の「呉有生」という人は、邪気は膜原に潜んでいるて、しばらくするとあちらこちらに出ていく。
これには9つの経路があるとしている。

では、伏気と宿邪の違いはなんだろうか?
伏気は、病気に感染してもすぐに症状が出ない場合をさしており、潜伏期の状態をさす。
これに対して宿邪は、一旦発病してからおこる後遺症に近いものだ。
宿邪の原因は体に害がある抗体で、免疫のバランス失調による慢性的な炎症だ。
似た部分もあるが、全く違う概念だ。


伏邪


伏気の概念をもう少し広げたものに伏邪がある。
伏邪についてもっとも詳しく書かれているのは伏邪新書だ。
伏邪新書は清の時代の劉吉人という人の著作だ。
伏邪新書の中で伏邪は次の4種類があるとしている。

「 1. 感六淫而不即病過後方発者、総謂之曰伏邪
  2. 已発者而治不得法、病状隠伏亦謂之曰伏邪
  3. 初感治不得法、正気内傷邪気内陷暫時仮癒後復作者
  4. 已発治癒而未能除尽病根遺邪内伏、後又復発

  1. 六気に感じてすぐには発病しなくて、しばらくして発病するもの
  2. 発病してから、治療方法が正しくなくて、病状が隠伏するもの
  3. 病気になってすぐの時期の治療が正しくなく、正気を傷つけ、邪気を内陷させてしまい、治ったように見えてまた病気がおこるもの。
  4. 病気が一旦なおっても、病根が残って内伏して、あとでまた発するもの。  」

この考えは、私の考えている「宿邪」に近いものがある。
特に2から4に関しては、感染後の後遺症のようなイメージもある。
おそらく私が考えている宿邪も含んでいると思う。
治療としては、伏燥、伏寒、伏風、伏湿、伏暑、伏熱にわけ、さらにどの経絡に伏邪があるかによって細かく治療している。
ただ、使われている処方は、ありきたりで内科学でよく使われるものばかりで、伏邪という概念をつくった意味をあまり感じない。
免疫のしくみが全く解らない時代なので、宿邪の治療には免疫の改善が必要というところまでは至っていないようだ。
伏邪は伏気を含んでいて、さらに宿邪も含めている。
伏気と宿邪を含めたものが伏邪と考えても良いと思う。
私の提唱している宿邪には伏気は含まない。
前節で述べたように、伏気は潜伏期間であり、免疫のバランスはまだ比較的に保たれている。
宿邪は、発病後におこるもので、体に害をおよぼす抗体がある。

私が提唱したいのは、宿邪の治療方法だ。
宿邪の治療は、一般の内科学の治療とは異なっている。
そうで無いなら、わざわざ宿邪という概念を作る必要はない。


温病正宗


民国二十四に王德宣という人が「温病正宗」という書物で伏邪を発展させている。


凡伏气温热,皆是伏火,虽其初感受之气,有伤寒伤暑之不同,而潜伏既久,蕴酿蒸变,逾时而发,无一不同归火化。
中医所谓伏火症,即西医所谓内炎症也。
王秉衡曰:风寒暑湿,悉能化火,血气郁蒸,无不生火,所以人之火症独多焉。
朱心农曰:东南方天时多热,地气多湿,最多湿热湿温之症,正伤寒症极少。
即云冬月多正伤寒症,亦不尽然。历症以来,恒见大江以南,每逢冬令太温,一遇感冒,表分虽有外寒,内则竟多伏火,悉以伏火治之,丝毫不爽。


およそ伏気の温熱は、みな伏火である。
その初めて感受する気が傷寒と傷暑の違いはあるけども潜伏して久しくなれば体内にとどまりしばらくして発するので火に帰さないものし一つも無い。
中医がいわゆる伏火というのは、西洋医のいう炎症の事だ。
オウヘイショウという人は、風寒や暑湿はことごとく化火する。
気血が鬱蒸すれば火が生じないものはない。
だから人間の病気は火証ばかり多いのだ。
朱心農は、東南の方は天気が熱が多く、地氣は湿が多い。
湿熱や湿温の証がおおい。本当の傷寒はとても少ない。
冬は傷寒が多いというが、そうではない。揚子江以南では冬が暖かすぎて風邪をひくやいなや、表に外寒があるといっても、内には伏火がある事が多く、伏火の治療をすれば爽やかにならないものはない。


と書かれている。
さらに


四时之序,春为风,夏为暑,长夏为湿,秋为燥,冬为寒,皆有外因。火则本无外因,然《内经》言百病之生,皆生于风寒暑湿燥火,则并及于火为六,病则名曰六淫。盖以风暑湿燥寒感于外,火即应之于内;则在内之火,即此在外之五气有以致之,故火但曰游行其间,后贤所以有五气皆从火化之说也。

季節にしたがっていえば、春は風、夏は暑、長夏は湿、冬は寒ですべて外因である。
火には外因はない。
にもかかわらず黄帝内経で、百病はみな風寒暑湿燥火によって生じる。これを六淫という、と書かれている。
そもそも、風、暑、湿、燥、寒は外因で、火は体の内部の反応だ。
体の内部の火は、外因によって引き起こされるもので、それらと共に存在する。
つまり風、暑、湿、燥、寒の五気はみな火化するのだ。


この考えは、「アレルギーまたは自己免疫による慢性炎症である宿邪」
にかなり近い。
ただ、この本の中では、伏邪に関しての具体的な治療方法にはふれていない。
やはり、伏邪新書と同じで着眼は良いが、治療方まではよく考えられていないのが残念だ。

よく炎症は火と考える人がある。
しかしこれはあくまでも西洋医学的な考えで、中医学的には炎症は必ずしも火とは言えない。
炎症の治療は必ずしも清熱だけでは無いからだ。
だから、慢性炎症を伏火と言ってはいけない。


解表薬の本当の意味


葛根湯は中医学では、風寒の邪気に体表がおかされた場合、いわゆる太陽病に使われている。
特徴としては、汗が出ない場合で、脈が浮緊、筋肉がこわばる場合に使われる。
この場合、時に胃腸風邪のように下痢になる場合もある。
だが、基本的には急性病に使うものだ。
しかし、日本では葛根湯医という言葉があるように、いろいろな慢性病に応用している。
単なる肩こりにも使う。頭痛、腰痛にも使い、鼻詰まりには葛根湯加川芎辛夷としている。
汗が出る場合にも使うし、脈が浮緊で無い場合もある。
中医学的に言えば明らかに近い間違えである。
ただ、にもかかわらず、それなりの効果がある。
もちろん、汗が多い場合や脈が緊で無い場合の長期の服用は問題があるかも知れない。
だが、それなりに効果が出るのはどういう理由なのだろうか?

花粉症に小青龍湯がよく使われるが、花粉は本当に外邪なのだろうか?

痔の治療に、乙字湯だけでは効果がなく、麻杏甘石湯を使う事がある。
何故、痔に麻杏甘石湯なのだろうか?

そうすると、解表薬には体表の邪気を発散するだけでなく、他の作用もあるのではと思う。
そう、解表薬は「アレルギー、もしくは自己免疫による慢性炎症である宿邪」に効果が出るのではないだろうか?
解表薬の応用範囲は、もっともっと広いのではないだろうか?


宿邪とは


宿邪は外邪が体内に侵入して、なかなか出ていかない状態を言う。
邪の性質は変化する事が多い。
例えば寒邪にふれて、時間がたつと熱に変化する場合。
また、湿に変化したり、湿熱になったり、いろいろだ。
では、普通の湿熱とどうちがうのだろうか?
一番の違いは、感染してから時間がたっても、まだ外感病特徴がいくつか残っていて、外感病の治療方法が使える事だ。
一般的には脈は浮の状態が多いと思われるが、そうでない場合も多い。

中医内科学では、病気を外感病と、雑病にわけている。
雑病というのは乱暴な言い方だか、実は外邪病以外のすべての病気を言っている。
そして、治療方法にも明確な使い分けがある。
外感病は、傷寒なら、六経弁証を用い、温病なら、衛気営血弁証か三焦弁証を用いる。
雑病は、臓腑弁証が主で気血津液弁証を用いる。
雑病に六経弁証や衛気営血弁証や三焦弁証を用いる事は稀だ。
しかし、実際に前章でのべたように雑病にも解表薬はよく使われる。

宿邪をあえて西洋医学で説明するなら、「異物」にふれたため、免疫機能が働き、その免疫が正常範囲を逸脱して、体を傷つけている状態である。
異物は体外から入ってくるもので、肺や腸、皮膚などから侵入する。
最近は腸管免疫といって、腸の中に免疫調節機能があると考えられているが、腸の中の異物も宿邪になると言っても良い。
自己免疫疾患場合、宿邪が関係しているのではと思う。
そして、それによっておこる慢性炎症が宿邪の正体だ。
炎症は火のように思うが、実はそうではない。
火でない炎症も沢山ある。
火神派の人たちは、大量の附子で慢性の炎症を治療しているが、そのやりかたの是非は別として炎症が火だけでない事は明らかだ



宿邪の種類と治則


宿邪には、宿風寒、宿風熱、宿風湿、宿風燥がある。
初期はすべて風がからんでいるのが特徴だ。
外感病は時間がたつにつれて、表証から裏証に進んでいく。
裏証になると、風の症状は少なくなる。
この状態は、陽明病や気分証、営分証、血分証、下焦などの状態だ。
この時の治療も、慢性病でありながら急性病と同じ治療をする。
ただ、表証、もしくは衛分証の場合と違い、外感病と雑病の治療の違いは必ずしも明確ではない。
なので、ここでの宿邪は、表証が残っている場合に限定して話したい。

また風には外風と内風がある。
宿邪の風は、外邪から宿邪になったものものだ。
それ以外にも中医学では内風といって、体内で生じる風がある。
内風の治療は熄風、外風の治則は去風で、使う薬も違っている。
宿邪は、時間がたった外風である。

外邪が侵入する時に、何等かの自覚症状がある事が多いのだが、軽微なため気に留めない場合もあるだろう。
またエイズやB型、C型肝炎は、宿邪というより伏邪に分類した方が良いだろう。

宿邪にの治療だか、傷寒、温病の治療に準ずる。
慢性病に六経弁証、衛気営血弁証、三焦弁証を慢性病に応用する。
その中で、時間がたってもまだ表証が残っていると考えられる状態だ。

宿邪によく使われる処方 日本にあるもの
風寒 葛根湯 麻黄湯 小青龍湯 越婢湯 荊防排毒散 
風熱 銀翹散 川芎茶調散 駆風解毒湯 消風散 治頭瘡一方
風湿 藿香正気散
風燥 甘露飲 潤肺糖漿
その他 防風通聖散 五積散

日本では温病の理論はあまり取り入れられなかったので、温病系の処方が少ないのが残念だ。
勿論、中医学は弁証論治なので、気血水の流れや、昇降、臓腑のバランスなども考慮する事は言うまでもない。


宿邪の例


腎炎

鄒雲翔先生は、16才の慢性腎炎の医案の中で麻黄0.45gを使用している。
「本方用少量麻黄、専爲治病求本而設、因患者病始於風寒、未及疏散而下陥於腎、是以肺経症状厳重、用少量之麻黄是撥動肺部之宿寒」

この処方で少量の麻黄を用いるのは、もっぱら治病は本を求むによっています。この患者は風寒によって病気がおこり、疏散が及ばす腎に下陥した。肺経の症状がひどいので、少量の麻黄を用い肺部の宿寒を取り除いた 」と述べています。

また鄭蓀謀先生も腎病総合症の治療に六味地黄丸に蘇葉と蝉衣を加味する処方を常用している。

温病で有名な趙紹琴先生は、慢性腎炎で尿毒症の場合、荊芥、防風、藿香、佩蘭、蘇葉、白し、獨活などをさかんに使っている。


産後の身痛

宿風寒の例として、祝諶予先生の医案をあげておきます。
32才女性 全身疼痛3年
病歴 :3年前に子供をおろしてから、全身の筋肉が痛い。
寒気がとれない。背中がこわばる。ぞくぞくして汗は出ない、または冷や汗が出る。
暑い日でも暑く感じなくて厚着をしている。いろいろなお医者さんが治療しても効果がなかった。
現在の症状 :全身が痛い、顔色は赤いが風にあたるのをいやがる。口渇はあるものの暖かいものを好む。時々煩躁はある。二便は正常。舌は暗淡。舌苔は薄白。脉は細滑数。
辨証立法 :産後血虚、風寒入絡、筋脉失養。 散寒通絡、升津養筋
処方 葛根湯加味   葛根湯に穿山竜を加える。
服用6日目で、痛みは多いに減り、寒気は消失、冷や汗もとまり精神爽快で、3年の宿疾がたったの6日で消失したとの事

3年の病気が6日の葛根湯で治療できたのは、病気の原因が宿邪だったからだと思う。

エピゲノムと宿邪


ネズミの実験がある。
ネズミに音とともに電気刺激をする。
これを繰り返すと、ネズミは音を聞いただけで恐怖におののくようになる。
まあ、ここまではよくある話。
では、この恐怖体験はどこにしまわれているのだろうか。
通常は脳にあると思う。
勿論、そうだとは思う。

オスのネズミにこの恐怖体験を記憶してもらうと、この恐怖体験は子ネズミに伝わるのだ。
オスのネズミなので、子供に伝えるものは精子しかない。
精子以外の経路はないのだ。
そうすると、この恐怖体験は精子の中に保存されていた事になる。
恐怖体験をしたからといって、DNAが組み変わるという事は無いだろう。
変化したのはエピゲノムだ。
遺伝子を働かせるスイッチだ。
どういう仕組かはわからないが、恐怖体験は遺伝子のスイッチを変化させたのだ。
そして、その変化は精子を通して子供にも伝えられたのだ。

この事は宿邪にもあてはまるはずだ。
外来の邪気が、遺伝子のスイッチを切り替えてしまう。
そしてそれが体質の変化として、時に子供にまで影響する。
宿邪は、子供にまで伝わるのだ。

付録 古典の中の宿邪



古典の中にはまだ宿邪という概念は無い。
ただ、伏気とか伏邪という概念はあった。
伏邪の中で、宿邪に近いと思われるものをいくつかあげてみます。

温病条弁では
舌白渇飲、咳嗽頻仍、寒従背起、伏暑所致。名曰肺瘧。杏仁湯主之。
杏仁、黄芩、連翹、滑石、桑葉、茯苓、白豆蒄皮、梨皮。

舌が白く、のどが乾いて水をのみ、咳嗽は頻繁で、寒気が背中からおこるのは伏暑によるものだ。肺瘧という。杏仁湯これをつかさどる。


温病条弁

湿久不治,伏足少阴,舌白身痛,足跗浮肿,鹿附汤主之。 湿伏少阴,故以鹿茸补督脉之阳。督脉根于少阴,所谓八脉丽于肝肾也;督脉总督诸阳,此阳一升,则诸阳听令。附子补肾中真阳,通行十二经,佐之以菟丝,凭空行气而升发少阴,则身痛可休。独以一味草果,温太阴独胜之寒以醒脾阳,则地气上蒸天气之白苔可除;且草果,子也,凡子皆达下焦。以茯苓淡渗,佐附子开膀胱,小便得利,而跗肿可愈矣。

鹿附汤方(苦辛咸法) 鹿茸(五钱) 附子(三钱) 草果(一钱) 菟丝子(三钱) 茯苓(五钱)

湿が治らず、足の少陰に伏し、舌は白く、身体は痛く、足首がむくむものは、鹿附湯これをつかさどる。湿が少陰に伏するので鹿茸をもって督脉の陽を補う。督脉の根は少陰で、いわゆる八脈はみな肝腎に付着している。督脉は諸陽を総督して、この陽がひとたび上ると諸用はみなその命令をに従って上る。附子は腎中の真陽を補い、十二経を通行する。莵絲子の助けで、莵絲子は莖が空なので気を流す作用があり、その助けを借りて少陰の気を升発する。身体の痛みはおさまる。ひとり1味草果は、太陰にある一人勝ちしているところの寒邪をあたため、脾の陽を目覚めさせ、すなわち地氣が上に蒸発して天気となり、白苔をとりのぞく事が出来る。そして草果は種である。およそ種子はみな下焦に達する。茯苓の淡じんをもって、附子が膀胱を開くのを助け、小便は利し、くるぶしのむくみが治るのである。


湿久,脾阳消乏,肾阳亦惫者,安肾汤主之。
凡肾阳惫者,必补督脉,故以鹿茸为君,附子、韭子等补肾中真阳,但以苓、术二味,渗湿而补脾阳,釜底增薪法也(其曰安肾者,肾以阳为体,体立而用安矣)。
安肾汤方(辛甘温法)
鹿茸(三钱) 胡芦巴(三钱) 补骨脂(三钱) 韭子(一钱) 大茴香(二钱) 附子(二钱) 茅术(二钱) 茯苓(三钱) 菟丝子(三钱)

湿が久しくて、脾の陽が貧しく、消え、腎陽もまた疲れ果てている場合、安腎湯これをつかさどる。
およそ腎陽が疲れてしまう場合、必ず督脉を補う。だから鹿茸を君薬として、附子や韮子などで腎中の真陽を補う。
ただ、茯苓と朮の二味をもって淡じん利水し、脾陽を補う。かまの底の薪を増やす方法だ。ゆえに腎を安じるのとは腎は陽をもって体とする、体(物体)がしっかりして初めて用(はたらき)が安らかになる。

痺症の中で着痺は宿寒湿が強い状態と考えています。

温病条弁では次のように述べています。
秋湿内伏,冬寒外加,脉紧无汗,恶寒身病,喘咳稀痰,胸满舌白滑,恶水不欲饮,甚则倚息不得卧,腹中微胀,小青龙汤主之;脉数有汗,小青龙去麻、辛主之;大汗出者,倍桂枝,减干姜,加麻黄根。

秋の湿が内伏して、冬の寒が外から加わる。脈は緊となり汗は出ない。悪寒して、あえぎ、咳が出て、薄い痰がでる。
胸は張り、舌は白滑、水を嫌いのみたくない、びとい時は横になる事ができず、起座呼吸になる。お腹は少し張る。
小青龍湯これをつかさどる。脈が数で汗があるなら辛味である麻黄をさる。大いに汗が出る場合は桂枝を倍にして干姜を去り、麻黄根を加える。


疝気という病気は宿寒と考えます。
疝気はヘルニアのようなものです。天台烏薬散をよく使います。
寒疝少腹或脐旁,下引睾丸,或掣胁,下掣腰,痛不可忍者,天台乌药散主之。
此寒湿客于肝肾小肠而为病,故方用温通足厥阴手太阳之药也。乌药去膀胱冷气,能消肿止痛;木香透络定痛;青皮行气伐肝;良姜温脏劫寒;茴香温关元,暖腰肾,又能透络定痛;槟榔至坚,直达肛门散结气,使坚者溃,聚者散,引诸药逐浊气,由肛门而出;川楝导小肠湿热,由小便下行,炒以斩关夺门之巴豆,用气味而不用形质,使巴豆帅气药散无形之寒,随槟榔下出肛门;川楝得巴豆迅烈之气,逐有形之湿,从小便而去,俾有形无形之结邪,一齐解散而病根拔矣。
天台乌药散方(苦辛热急通法)
乌药(五钱) 木香(五钱) 小茴香(炒黑,五钱) 良姜(炒,五钱) 青皮(五钱) 川楝子(十枚) 巴豆(七十二粒) 槟榔(五钱)

寒疝で下腹やおへその横が、睾丸の方に向かってひきつり、あるいわ脇がつり、腰が下につり、痛みが耐えられないのは天台烏薬散がこれをつかさどる。
これは寒湿が肝腎小腸に客した病気である。だから処方は足の厥陰と、手の太陽を温通するものだ。烏薬は膀胱の冷たい気をさり、腫れをとり、止痛作用がある。木香は透絡し定痛する。青皮は行気し肝をおさえ、良姜は臟をあたため寒をおびやかす。
茴香は関元をあたため、腰や腎をたたため、また透絡定痛の作用もある。檳榔はとても硬く、肛門に直接達して結気を散じ、硬いものはつぶし、集まるものは散じ、諸薬を率いて濁気を駆逐し、肛門より出す。川楝子は小腸の湿熱を導き、小便より下行させる。城門を叩き壊すくらい作用が強い巴豆を炒めて、その気味を用い、形質を用いない、巴豆の帥気で無形の寒を散じ、檳榔に従って肛門から出す。川楝子は巴豆の猛烈な気を得る事によって、有形の湿を駆逐し、小便から去り、有形無形の結邪を一斉に解散して病根を抜き去る。


「燥淫伝入中焦、脈短而澀、無表症、無下症、腹痛、腹脇張痛、或嘔或泄、苦温甘辛持和之。
燥気延入下焦、搏於血分而成癥者、無論男婦、化癥回生丹。」

乾淫の邪気が中焦に伝入して脈は短で澀、表症はなく、下症もなく、腹痛してお腹や脇が張り痛む、あるいは嘔吐し、あるいは下痢する、苦、温、甘、辛を使ってこれを和す。
燥気が下症に入り込むと、血分とまざり、かたまりとなる。男性、女性ともカチョウカイセイタンを用いる。

 大黄じゃ虫丸のようなもの。 子宮筋腫に良いような気がするが処方が煩雑。
人参 麝香 丁香 虻虫 三稜 莪朮 など。
乾血によい。 燥邪によって血が乾燥して固まった。

おわりに



とりあえず今回はここまでにしたい。

結論として言えるのは、アレルギーや自己免疫疾患の場合は、弁証論治の上に少し去風薬を加えてみると良い事が多い。
アレルギーなどの場合は去風薬は比較的良く使われるが、自己免疫疾患の場合はあまり使われていないように思う。
ただ、宿邪の概念はまだ未完成で、今後に補足していきたい。
また新しい発見があれば加筆して行きたいと思っている。



 トップページに戻る